懐古寫眞館【四拾参】

yoko_asami2005-01-19


 当時大学生だった叔父と父とで、私と妹を都幾川(ときがわ)に連れて行ってくれたようだ。自転車には子供座席がついているし、河原に転がしてある自転車には、脱いだ衣類(と思われるもの)がかけてある。「チャリを走らせ、川へ泳ぎに行く」のが庶民の娯楽だったのだろう。そしてなにより、叔父の学帽が時代を感じさせる。当時の大学生は、普段でもみな、このように学帽をかぶっていたのだろうか?大学生であることや自校に誇りを持っていたのだとしたら、すごい。いまや街の若者は見分けがつかない。 でも、若者はいつの時代でも同じ? 義兄や姪っ子よりも興味を惹くことが、視線の先にあったのだろう。
 妹は、毎年夏に“アセモのより”を作っていた。おでこに見える白いものが、その証。塗布した薬か、貼ってあるガーゼだ。 「より」は、とにかくアセモのかたまり。「掻いちゃダメ」と言われても掻くのでヒドクなっていた。
 「この写真が、ウチに残っている、私の一番小さいときの写真…」と、昨年から仕事の研修で毎週わが家に泊まりに来ている“二女の”妹は(拗ねて)言う。「二番目はしゃぁないね」と、産湯の写真から残っている長女の私は、努めて “一般論”的に答える。(^o^)