武蔵野の路

 わが家のすぐ下の交差点に、こんな道しるべがある。

 「武蔵野の路」「光が丘・赤塚コース」「東京都」と記してある。上面には、小学校、幼稚園、公園などの位置が書いてある、いわば「ご近所案内板」。少し歩いた公園の前には、こういう看板がある。

 こちらは「光が丘・赤塚コース」のルート案内図で、「練馬区」のもの。

 (あんまりキレイではないが)「武蔵野の路」は、各地域の自然、歴史、文化などにふれながら東京を周回する全長270kmの散策路です。と書いてある。全部で21コースあるそうだ。 練馬区HP→http://www.city.nerima.tokyo.jp/shiryo/michi/index.html で確かめると、武蔵野の路は、散歩道を整備する東京都の事業です。練馬区でも東京都から委託を受けて、整備を行っています。とあり、練馬区には「石神井川コース」「光が丘・赤塚コース」「千川・石神井川コース」の3コースがあるそうだ。 まず、「光が丘・赤塚コース」をクリック→http://www.city.nerima.tokyo.jp/shiryo/michi/hikari.html  ルート図を見て、“いままで知らずに見つけた”地蔵尊や神社がいくつも出ていて、うれしくなる。 とともに、ほんのすぐ近くでまだ見ていないものがあることにも氣づく。前置きが長くなったが、本題! 田柄5-8にある「相原家薬医門」は、いままで何回か登場した「田柄梅林公園」の近くなのだ。

相原家薬医門 -南部の赤門-


 -前述HPから引用- 区内に現存する数少ない「薬医門」の一つです。今では珍しいかやぶきで、切妻破風造り、木部全体に紅殻(当初渋柿)が塗られています。最近、万延元年(1860年)に再建された際の棟札(棟上げのとき、建築の年月、建築者などを記入した札)が発見されました。江戸時代、土支田付近は南部藩の所領地であり、相原家は南部藩とかかわりがあったことから、通称「南部の赤門」と呼ばれています。 -引用終わり-
 外からだけじゃなくて、やはり少し近づいてみたくなる。

 現在もお住まいなのだろうか?と思いながら、失礼ながらも撮影させていただく。門の裏に“裏返して”立てかけてあった案内札を“ひっくり返して”撮影。(^o^;) もちろん撮影後は元通り“裏返して”おいた。

 相原家は代々この付近一帯の組頭を務めた豪農で、奥州盛岡の大名であった南部候とも関係があったと伝えられています。門の修理の際見つかった再建棟札には、相原家当主の源左衛門とともに南部藩御用人ならびに御目付の目時隆之進の名が記されていました。 と書いてある。
 こんな近くで、略さんや夢ちゃん・naoちゃんにご縁があるとは思わなかったぜ。 略さん、かわゆいお孫ちゃん達に逢いに行く理由が、またひとつ増えたでしょ?(^_-)-☆

 この案内札を撮影しているとき、後ろで、このお宅の飼い犬であろうワンちゃんに吠えられ、現在もお住まいであることがわかる。相原さん、早朝とはいえ、無断で2-3歩オジャマし、撮影までさせていただきました。ありがとうございました。

衣替え

 地図に載っていた「大増寺」にも行ってみたが、新しいお寺だったので撮影せず。それよりも、セーラー服!って…オヤヂみたい?

 撮影日は、5月24日、もう夏服のセーラー服を着ているんだよね。衣替えは、6月1日だけど、東京で、その日まで冬服のセーラー服を来ていたら耐えられない。いま学校の衣替えって、どうしているんだろう?
 ちなみに、道の先に見える高くて白い建物が、光が丘の一部。