相原家薬医門 -南部の赤門-


 -前述HPから引用- 区内に現存する数少ない「薬医門」の一つです。今では珍しいかやぶきで、切妻破風造り、木部全体に紅殻(当初渋柿)が塗られています。最近、万延元年(1860年)に再建された際の棟札(棟上げのとき、建築の年月、建築者などを記入した札)が発見されました。江戸時代、土支田付近は南部藩の所領地であり、相原家は南部藩とかかわりがあったことから、通称「南部の赤門」と呼ばれています。 -引用終わり-
 外からだけじゃなくて、やはり少し近づいてみたくなる。

 現在もお住まいなのだろうか?と思いながら、失礼ながらも撮影させていただく。門の裏に“裏返して”立てかけてあった案内札を“ひっくり返して”撮影。(^o^;) もちろん撮影後は元通り“裏返して”おいた。

 相原家は代々この付近一帯の組頭を務めた豪農で、奥州盛岡の大名であった南部候とも関係があったと伝えられています。門の修理の際見つかった再建棟札には、相原家当主の源左衛門とともに南部藩御用人ならびに御目付の目時隆之進の名が記されていました。 と書いてある。
 こんな近くで、略さんや夢ちゃん・naoちゃんにご縁があるとは思わなかったぜ。 略さん、かわゆいお孫ちゃん達に逢いに行く理由が、またひとつ増えたでしょ?(^_-)-☆

 この案内札を撮影しているとき、後ろで、このお宅の飼い犬であろうワンちゃんに吠えられ、現在もお住まいであることがわかる。相原さん、早朝とはいえ、無断で2-3歩オジャマし、撮影までさせていただきました。ありがとうございました。