生まれて始めての揺れ

 このblogには何回か書いているけれど、私は在宅で仕事をしていて、月に2-3回、新横浜にある事務所に出勤している。(私にとっては今日の出来事なのだけれど、日付が変わったので)昨日(3/11)は、その(月に何回かしかない)出勤日だった。しかも、午前中ウチで仕事をしてから出かけたので、新横浜の事務所についたのは13時過ぎ。17階にあるデスクで仕事をしている最中に、東北地方太平洋沖地震が来たのである。 当初「揺れてるねぇ〜」と言いながら、いつもの地震のように?!収まるだろうと、事務所に居た全員が思っていたのだが、その揺れは、収まるどころかますます激しくなり、みんなの声も次第に大きくなっていったのである。そのうち、椅子に座っていられないほどの揺れを感じ、机の下に頭を突っ込むが、キャスター付きの袖机が動いてきて背中にぶつかるし、ミーティングスペースにあった、床に固定していなかったパテーションは、バタン!と大きな音を立てて倒れた。倒れた位置にパソコンがなかったのが、不幸中の幸い。事務所内の被害は、それだけだった。でも、次に2度目の揺れが来た時は、立っても、椅子に座っても居られず、床に座り(ヘタリ)込んだ。ちっちゃなボート(釣り船)に乗った時のような揺れが小刻みに数分続き、船酔いした感じ。もう一回大きな揺れが来たら、きっと吐いていた。
 最低限の仕事を終えて、さっさと帰ろうとしたら「いま帰るのは無謀」と言われ、思い留まる。事務所内でつけてくれたテレビでは、続々と中継映像が入り、首都圏でも被害があって、電車も停まっていることを知る。「しばらく待機だ」と思って窓の外に目をやると、ものすごぉ〜く不穏な雲で、いゃぁ〜な感じ。


さらに「みなとみらい」方向には、火事らしい黒煙も見え、

テレビでは、九段会館ハマボウルで「天井崩落」、そして、千葉・市原の石油コンビナートの火災も伝えるようになり、電車もすべて止まるとなると、道路には車が増える。(町田にお住まいのC子さんは、ご家族が車で迎えに来てくれて帰宅されるが、着いたご自宅は停電とのメールがあとで届く)

その後、西の空には夕陽が見えて、空模様はひと安心させられるが、

テレビで続々と報じられる情報に、ひとまず食糧を仕入れようと、売店に行く。ただし売店は11階、エレベーターが停止し、一方の階段は壁の崩落があって閉鎖されてしまったので、17階から階段を下る。下りは良いけど、上りはフゥ〜フゥ〜(笑)。確保した食糧。


暗くなって、ますます渋滞。


意を決した?!K子さんが、外のコンビニまで行って(17階〜1階を階段で往復)買ってきて下さったカップ麺をごちそうになる。

おいしかったぁ〜。(^-^)


 食べながら見ていたテレビで「都営大江戸線が運転再開」というので、その前に知った「新幹線の運転再開」と合わせて、帰れると思い、居室をあとにして階段を下りると、、、落ちた壁と、その残骸。


横浜駅前には、タクシーを待つ、この長蛇の列!(一部)

 改札に大量に居た人波をかき分けて通していただき、新幹線ホームに上がると、のぞみが停車中。駅員さんがすぐ乗れと言うので、飛び乗ったところがグリーン車(笑)。誰も居ないし、検札も来ないだろうと、そのまま着席。21:50に発車するも…

新横浜〜東京間は、通常15分なのだけれど、3倍の45分かかった(これは、まだ良いほう)。車内放送では“6時間10分遅れで東京に到着”と言っていた。

途中、通過した「有楽町駅」。JRは、早々に「運転中止」を決めちゃってくれて、さ。閑散!としていた。


 東京駅に着いたら、都営大江戸線「大門」駅乗り換えの「浜松町」まで歩こうと思っていたのだけれど、東京駅・八重洲南口を出たら、「そうだ! 都営浅草線も(一部)動いているんだった。宝町(たからちょう)まで歩こう」と閃く。

宝町から大門は3つ目。


浅草橋〜西馬込間で動いていた浅草線に乗って、大門に着いたまでは良かったのだけれど、大門駅の狭いホームに人が降りられずに、規制をされていて、ホームに降りられたのは20分後の23:31。電車に乗れたのは0:11で、それから1時間以上かかった1:25 やっと!光が丘に着いた(光が丘〜大門は、通常約40分)。 新横浜の事務所を出て約4時間かかって無事にたどり着いたわが家は、棚の上の荷物が落ちていたくらいで、異常なし。
 忘れないうちに書いておこうと、このblogを書いている間も、何回も余震があった。 生まれてはじめて体験した、コワぁ〜イ“揺れ”だった。

 でも、地震直後に見ていたテレビの映像(名取市津波)は、とても悲惨で、息をのんだ。⇒NHK地震情報(動画)