昨年末の出来事

 昨年末、12/28(金)の早朝、ドスン!と大きな音がしたので目が覚めてベッドを飛び出すと、母がトイレ内に足を投げ出す格好で廊下に尻餅をついていた。両脇に手を入れて立ち上がらせようとしたけれど「立てない」というので、足首をひきずって母のベッドまで連れて行き、ひとまず寝かせた。
熟睡したので、その間に朝ごはんを済ませ、冷蔵庫の中身を段ボールに入れてベランダに出した。
 その後、目を覚ました母は「痛い」、「動けない」と言うので、病院に問い合わせをしたり、介護タクシーに電話をしたのだけれど、なんの解決にもならなかったので、119番に電話。救急車を呼んだ。 10分もしないうちに来てくれて、3人の救急隊員さんが手際よく状況を確認してくれたり、母の血圧を測ったり、「保険証と普段服用している薬も持参してください」と指示を出してくれ、もちろんお財布も忘れずに(笑)、救急車に(はじめて)乗車。
 母が内科でお世話になっている(入院もした)「順天堂大学練馬病院」の救急外来で受け入れてもらい、検査した結果『第12胸椎圧迫骨折』と診断。
 そのまま入院できるのかと思ったけれど、そうはいかなかった。救急外来の医師が“リハビリができる”病院を探し、受け入れ交渉をして下さり、転院することに…。ただ、転院には介護タクシーの手配が必要で、医師たちが斡旋することはできないので、「この中から電話をしてください」とたくさんのリストを渡される。リストを見ても、どこに電話をして良いやら…、でも、その中にあった「手配センター」のようなところに電話をしたら、30分くらいして来てくれた。 その間、支払いを済ませ、妹達にひとまず連絡。
 介護タクシーで向かったのは、江古田の「浩生会スズキ病院」。順天堂病院からの紹介状と画像CD、そして持参した薬を渡し、そのまま入院。
入院手続きや、看護師さんからの聞き取りを終えて、病院を出た時には、もう暗くなっていた。まだ17時前だったので間に合うと思い、母担当のケアマネさんに電話して状況を説明。デイサービスもしばらくお休みする旨を伝えた。翌日は29日(土)、年末年始休暇に入る直前に連絡できた。
 そこまでは良かったのだけれど、車で連れて行かれたために、最寄り駅へのアクセスが不明、しかも暗いし(笑)。 待っている間に手にした病院パンフの地図を頼りに、大江戸線新江古田駅まで辿り着き(笑)、帰宅。 朝、干したままだった洗濯物をとりこみ、明日持参するものを準備し、その日、2食目の(笑)晩ごはんを食べた。
 翌日は、朝から病院に行き、帰宅して、古い冷蔵庫の移動と床掃除。   その次の日(30日)に新しい冷蔵庫到着、、と、慌ただしい年末をすごした。(年賀状は26日に投函してあったことを喜ぶ)

 その後、毎日、病院通い。ただ、1/2-3は恒例の箱根駅伝応援があり、行くのを迷ったけれど、命にかかわる入院ではないし、箱根湯本行きのロマンスカーの切符を(4人分)私が持っていたりしたので、末妹に任せて行ってきた。

 入院中の母は、痛み止めの座薬を処方されながら、しばらく寝たきり。理学療法士さんが来て足の運動をしてくれ、胸と腰を固定するコルセットを装着した後は、ベッドを上げて座れるようになり「視界が広がった」と。 そして、いまは、歩行器につかまって歩く練習が始まった。

 以降は、リハピリ専門病院に転院して、リハビリをする予定。